最高の14日間
2003年ボランティアキャンプ報告
山本 剛(ボランティアリーダー)
今年のボランティアキャンプは、8月18日〜8月31日、レバノン南部のラシャディエ難民キャンプにて行われた。ラシャディエ難民キャンプの大きさは約1平方kmで人口は約25000人、レバノンにあるパレスチナ難民キャンプとしては最南に位置する。
宿泊先であった「子どもの家」のセンター屋上からは、夜になるとイスラエルの街の灯りが見える。キャンプ自体が地中海に面し、センターも海岸線に面していて、窓から外を見れば海岸線が広がり、耳を澄ませばいつでも潮の音を聞くことができる環境だ。私も含めて14名(男性6名・女性8名)という例年の半分以下の人数規模で、かつ内11人は大学生という非常に若いメンバーで構成された今年のグループは、このような環境の中で2週間という長いようで短い時間を共有して帰ってきた。
新しい形のボランティアキャンプ
今年は参加者構成の他にも例年とは異なる点を多々設けた。例えば、責任者に自分のような大学生を据え、参加に際してのエッセイによる選考、現地ベイルートでの集合解散…と多分に実験的とも言えるような要素を多く含んだものだった。
実際のプログラムの概要としては、朝8時に朝食を取り、午前9時から午後1時の午前の部は主に作業、午後3時から午後5時の午後の部はスポーツ交流、文化交流、ワークショップなど、午後7時から午後9時の部は家庭訪問やレクチャーなどを行なった。午前の部の作業は家屋の内装ペンキ塗り4軒を同時平行で約4日間、現在急ピッチで工事中のラシャディエセンターの外壁塗りを1日、独居老人宅の清掃活動を1日という、主に3つの活動に取り組んだ。午後の部としては、スポーツの時間に男性はサッカー、女性はパレスチナダンス(さよならパーティーでは民族衣装を着て披露するほどにマスター)や、パレスチナ刺しゅうを習ったりした。その他、ビデオでの東京紹介、万華鏡の工作や、ディスカッションの時間、様々な施設訪問などと本当に盛りだくさんの内容で瞬く間に2週間は過ぎていった。
ファミリーになれた喜び
今回のボランティアキャンプで一番のポイントは、こうしたプログラムのほとんどをラシャディエの青少年と一緒に活動にある。活動そのもの自体からも得られることは大きいが、日本人とほぼ同じ人数のパレスチナ人の青少年やスタッフと朝から晩まで一緒に時間を共有することによって得られたもの、築き上げられたものは、それにも増して大きかった。ラシャディエセンター長のマリアムさん(30代の女性)が、今回初めてボランティア参加者の世代を日本とパレスチナ側を同じようにしたことは双方にとってベストであり、2週間ずっと一緒だったからファミリーになることができたと評価してくれた時は、私としても嬉しい限りだった。日本人参加者も、パレスチナ人参加者も、みんながみんな英語を巧みに扱えるわけでは当然なかったのだが、一生懸命英語を駆使して、身振り手振りも交えて、コミュニケーションをとった、言葉では言い表しがたい深い絆のようなものは何者にもかえがたいものになった。
解散前日のミーティングでは、写真や手紙、ビデオレターを送ろう、英語で文集を作って送ろうなど帰国後のいろいろな案がみんなから積極的に出された。参加者1人1人が日本に持ち帰った一番大切なものが、このようなラシャディエの人たちとの「つながり」だと言っても過言ではない。
参加者みんなでつくったキャンプ
個人的な話をすると、一参加者であると同時に責任者として、どうしたらボランティアキャンプが成功するかというのが、春からのちょっとした悩みのタネだった。
成功と一口に言っても色々な要素があり、参加者が大きな病気・けがをしないということから、楽しく充実したものになるなど挙げたらキリがないほど様々だ。そのため、現地入りする前にも、6月・7月・8月と研修会を月に1度設けることにより、参加者に、より参加意識を持ってもらうように、グープとして1つになれるように心掛けた。1人1人にキャンプを作って欲しいという気持ちから、役割分担やグループ構成も前もって決めた。
今年のボランティアキャンプが大成功のうちに終わったと感じるのも、主役である参加者1人1人の活動・活躍があったからだと思う。みんなの活動は日本にいる時から既にスタートしていたのだが、現地で過ごした日々は、日本人にとってもパレスチナ人にとっても忘れられないものとなったはずだ。私としても、参加者と築いたものは大きい上に、マリアムさんを始めとした現地のスタッフには大変お世話になり、スタッフの方々に育てていただいたという思いは強く、責任者として得た経験も大変貴重なものとなった。それを今後も生かし、さらに一回り大きくなって、またラシャディエのみんなに会えることを願って止まない。





